あの夏のなかのふたり

by Atsuko Yonekura

写真:細江英公、『創世記:若き日の芸術家たち』、国書刊行会、2012年 写真:細江英公、『創世記:若き日の芸術家たち』、国書刊行会、2012年

夏になると思い出す一枚の写真がある。

砂浜で”花札あそび”に興じる男女。

男は中国帽をかぶって胡坐を組み、女はつばの広い帽子と貴婦人のような長い手袋を着けてとてもエレガントである。

1960年代の日本の文壇における象徴的なカップル、澁澤龍彦と矢川澄子である。

マルキ・ド・サドの翻訳者としても知られる澁澤は、翻訳がわいせつ罪で訴えられると、『サド裁判』として知られるその裁判で、わざと法廷に遅れるなどして裁判を<お祭り騒ぎとして楽しむ>姿勢を見せ、世間の話題をさらった。翻訳家であった矢川は、異端児の澁澤を無名の時代から支え、翻訳の仕事についても片腕となった。

この写真は、1965年に、鎌倉にあった澁澤の自宅に文壇メンバーが集い、ひと晩中花札に興じていた彼らが、夜明けをきっかけに由比ガ浜の浜辺へと出て、また花札を始めた瞬間を、親交の深かった写真家・細江英公によって収められた偶然の一枚である。

映画のワンシーンのようなこの一枚の写真に思いを馳せながら、どこか物悲しくなるのはふたりの結末を、50年後の現在を生きる私は知っているからだろうか。

それを知ってもなお、夏になるとこの美しい写真を思い出し、繰り返し眺めるのだ。

誰しもに訪れる永遠にも思える幸せな瞬間がある。

彼らもまたこの永遠の瞬間に、その夏のなかに居続ける。

◇澁澤 龍彦◇

Tatsuhiko SHIBUSAWA(1928-1987)

マルキドサドの翻訳で知られる澁澤は、膨大な知識とその端正な容姿もあいまって、1960年代の日本の文壇を象徴する存在であった。鎌倉の自宅は、三島由紀夫を筆頭に60年代の文壇のサロン的な場として機能した。1978年、咽頭がんで死去。

◇矢川 澄子◇

Sumiko YAGAWA(1930-2002)

作家・詩人・幼児文学作家。1959-1968の間、澁澤の妻として鎌倉の別荘にて暮らす。澁澤の死後、1995年に発行された『おにいちゃん-回想の澁澤龍彦』には離婚後から老年を迎えるに至ってもなお抱き続けた彼への特別な想いや、澁澤を最期の姿を見舞った際のエピソードについても語られている。2002年、自宅にて縊死

Photo by 細江 英公/Eikoh HOSOE(1933-)

写真家。三島由紀夫、澁澤龍彦など時代の先端を行く文化人・芸術家たちとの交流から生まれた作品など多くの名作を発表し、海外においても非常に高い評価を得ている。